サルノキングと田原成貴にまつわる八百長疑惑について紹介しています。

サルノキング事件

 

サルノキング事件とは、1982年のスプリングステークス(1982年3月28日中山11R・G2・芝1,800m)で起こった八百長疑惑です。
当時はマスコミや他の調教師まで八百長疑惑を指摘する事態になりましたが、
実際には八百長ではなかったのではないか?といった見解も多い出来事です。

 

事件の概要

 

4歳(現在の馬齢で3歳)のクラシック戦線に繋がる役割があったスプリングステークスにて、サルノキングは1番人気でした。
しかし、11頭立てのレースでサルノキングは最後方に取り残されるレース展開。
一時は10番手の馬と20馬身ほどの差ができていました。

 

最後はスパートをかけたものの、前半のビハインドが大きすぎて4着に沈んでいます。
なお、このレース中にサルノキングは重度の骨折をして引退しています。

 

スプリングステークス出走前の段階で弥生賞を含む6勝の実績があったサルノキングは、既に皐月賞・日本ダービーなどのクラシックへ進める可能性が高い状況でした。
一方で当該レース2番人気だったハギノカムイオーは皐月賞の出走権獲得のために上位入賞が必須の条件です。
サルノキングと2番人気ハギノカムイオーは同じ馬主で、マスコミなどはハギノカムイオーを皐月賞に出走させるために、サルノキングはわざと負けたのではないかと報じて炎上騒動になっています。

 

 

戦歴と情報の少なさ

 

情報が少ないイメージ

 

サルノキングは関西馬で3歳の時は阪神・京都で実績を積んでいて、4歳になってからクラシックを見据え関東(東京・中山)へ出走するようになりました。
元々の脚質は追い込み型で、関西では追い込みからの末脚で勝利を重ねてきた馬でしたが、関東に戦場を移してからの直近2戦は展開を理由に先行するレース運びになっていました。

 

そのため、関東の人はサルノキングは先行馬といったイメージを強く抱いていて、スプリングステークスでシンガリから進めたレース展開を意図的に負けようとしたのではないかと捉えられました。
当時はネットでレース動画を振り返ることができず、関東の人はWINSを含めて関西のレース映像を見ることが難しい環境だったため、誤解が生じた模様です。

 

 

骨折の捏造疑惑

 

紹介している通り、サルノキングはスプリングステークス中に骨折したことを理由に、クラシックへは出場せずに引退しています。
一部では、八百長疑惑が出たことを理由に負けた原因を骨折にする嘘をついたのではないかと疑う声が出て、JRAは異例のレントゲン写真を公開する対応をしました。
しかし、レントゲン写真を公開する時間が予定より3時間遅れたため、公開されたレントゲン写真は捏造されたものではないかと疑惑を強める結果になっています。

 

 

八百長ではない可能性が高い

 

サルノキングが惨敗したスプリングSはハギノカムイオーが勝利し、皐月賞への出走権を確保しました。
しかし、当時のスプリングステークスはトライアル競走として5着までに皐月賞の優先出走権を与えています。

 

サルノキングが負けても2番人気だったハギノカムイオーは皐月賞に出走できる可能性が高く、サルノキングが負けても他の馬が本気であればハギノカムイオーが上位に入る保証はありません。
オッズが不自然になることもなかったため、大方の見解は八百長ではないと見られています。

 

八百長疑惑になったのは、20馬身以上も後方に取り残されるレース展開が原因。
騎乗していた田原成貴騎手は「後方待機からの末脚で関東の競馬ファンを驚かそうとした」とコメントしています。
田原騎手の性格をよく知る競馬関係者からは、「田原は八百長をするような奴ではない」、「田原の性格なら大胆な後方待機も納得できる」など、擁護する意見が多いです。

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