馬主の自分勝手な都合の犠牲となり、サンエイサンキューは命を落とすこととなりました。

悲劇のサンエイサンキュー

悲劇のサンエイサンキューは重賞3勝の実績を持ち、有馬記念にも出走したトップホースの牝馬です。
結果的に引退レースになった有馬記念のレース中で骨折し、診断結果は通常なら安楽死になる予後不良でした。
しかし馬主は繁殖牝馬にすればお金になることを理由に、安楽死を選択せず、6度に及ぶ手術を繰り返して延命します。
有馬記念で438kgあった馬体は300kgほどに衰弱し、療養中に競走馬にとって致命的な蹄葉炎(蹄が腐る病気)も併発します。
最終的には、心臓麻痺によって有馬記念のケガから2年後に繁殖牝馬になることなく死亡しました。

 

ほかにも、現役生活中の過酷なローテーションを強いられ、主戦騎手の田原成貴とサンケイスポーツが口論をする展開になって話題になりました。
結果的に、サンエイサンキューは競走実績ではなく、馬としての命よりもお金を優先された壮絶な人生が注目されて、歴史に残る馬になってしまいました。

 

 

過酷なローテーション問題

 

過酷な訓練に耐える馬達

 

佐藤勝美厩舎の調教助手だった菅野年美は以下の問題点を発言して話題になりました。

 

  • 馬主の岩崎喜好が資金難に陥っていた可能性があり、過酷なローテーションを強いた
  • ライバル馬のニシノフラワーの馬主・西山正行への対抗心を持ち、積極的レースに出走させることでサンエイサンキューの名前を売ろうとした

 

エリザベス女王杯前のトライアルレースの出走時には、田原騎手が馬主に対して、日程を詰めたレースは危険なのでトライアル競走のローズステークスは回避するべきだと指摘します。
結果的に馬主の意見が通り、エリザベス女王杯前に2つのレースに出走し、サファイアステークス(G3)1着、ローズステークス(G2)2着の好走を納めます。
結果を受けて、馬主は自分の考えが正しいと思うようになり、過密日程に挑戦したエリザベス女王杯(結果は5着)の後に休養せず、年末のドリームレースである有馬記念に出走させます。

 

戦歴や馬のポテンシャルは評価されていたものの、過密ローテーションを懸念され有馬記念で13番人気と評価を下げていました。
1992年当時は、現代のような牝馬が混合レースで実績を残す事例が少なく、有馬記念は勝つ見込みよりも名前を売りたいという思いが強かった可能性があります。

 

また、オークス終了時点で休養を取るべきだったところ、夏競馬にも出走する過密スケジュールが問題視されています。
エリザベス女王杯出走前から痛みを訴えていて、菅野調教助手と厩務員はむごい対応で涙を流したとコメントしています。

 

田原騎手は有馬記念では、勝つことよりも無事に1周回って欲しいと願いながら出走したが、思いは届きませんでした。
つまり、サンエイサンキューは偶然の事故ではなく、管理上に問題があってケガをしたことが明確です。

 

報道によって八百長問題に発展

 

田原騎手はオークス出走後から、休養するように訴えていました。
出走するか議論されたローズステークス前のテレビ取材でも、ネガティブな発言を行っています。
収録終了後に「こんなに悪く言っちゃって、これで勝ったら頭を丸めなきゃなんないな」と発言したところ、録画収録に立ち会っていたサンケイスポーツの記者が翌日のスポーツ新聞で、「田原2着以上なら坊主頭になる」といった見出しで報道します。

 

騎手が意図的に負けようとする八百長問題とも受け取れる報道内容で、田原はサンケイスポーツに対して「八百長の誤解を招く書き方は勘弁して欲しい」と反論します。
さらにサンケイスポーツは攻撃的な報道で「田原謝罪」と報道し、田原はサンケイ新聞の取材を拒否するようになります。(一時的なもの)

 

一連の騒動を受け、ほかのメディアや競馬予想サイト、競馬マンガ(ありゃ馬こりゃ馬)でもネタにする歴史に残る事件となり、「田原VSサンケイ新聞」のやり取りは「サンエイサンキュー事件」と名付けられました。
皮肉にも、サンエイサンキューが最悪の結果になったことで、田原騎手の正当性が立証される結果になりました。
ダテハクタカ事件など競馬界では過去に競走馬に悲劇が起きる事件も起きています。

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